地獄編〜2  亡母の「かえり船」

 旅順生まれの 新京育ち。
隣町へは 祖父の土地を通らずには行けなかった。その祖父は 一人娘の母に井戸塀しか遺さなかった。なんの因果か「地獄」に ボンクラ誕生。二言目には「腹を切れ」ともっぱら叱られる毎日。「内地」も知らず。
 このボンクラの胸にグサッと来るのが「なんとか なるだろう」。

 波の背の背に 揺られて揺れて
 月の潮路の かえり船
 霞む故国よ ・・・
 ・・・   ・・・

 瞼合わせりゃ 瞼に浮かぶ・・・
 ・・・    ・・・

 熱いなみだも 故郷に着けば
 うれし涙と 変るだろう
 ・・・    ・・・ ・・・
引揚船の中で 栄養失調性浮腫の亡母の口をついて出た言葉。
 「なんとかなる」「なんとか なるだろう」・・・
必死で 自分に反復言い聞かせていた・・・。昭和29年肺結核死。
 物理的には 「死に頃」が早すぎた。