地獄編〜26 この男休む・表六・変人・奇人⑦
夜も白々と明けて来た。驚いた。広大な白いテント村が目の中に飛び込んできた。小さな丘の上に自分が居た。テントの中に入った。とにかく奇妙な感じの初体験だった。
開城に着いた時 南朝鮮の人々が異口同音にかけて来た言葉・・・
「北の奴らはそんなに酷かった?!ホントですか??!」日本語は流暢・・・。この男この耳ではっきり何度も聞いた。
李承晩以後の 南朝鮮をとても理解し難いヒョウロク。どうして喧嘩腰なのか?いつもいつも。ほんとに判らない。
初めの2〜3日は 3〜4センチ長の乾麺 大変な御馳走だった。四日前後で移動すると聞いていた。ところが「地獄」はままならぬ。食事が一変。一食当り大粒の茹でたトウモロコシを真鍮製の朝鮮サジ一杯。牛の飼料と聞いた。北からの難民急増が原因だった。
便所は吹きっさらしの屋外。何人でもOKと言わんばかりの広さ。構造は平壌のそれと同じ。但し仕切りは一切無し。御婦人方には将に恥も外聞もない事態。屈辱感推して知るべし。
十日弱経過? 米軍用トラックで急遽仁川へ。猛スピードだった。
驚いた事二つ・・・
① 途中細い山道でパンク。一人も下車させず 数分でタイヤ交換・おわり!
② GIの服装。アイロンでパリッとして清潔!ロスケとは天と地ほどの違いを見た。
海を初めて仁川の港で見た。岸壁に立った。水は緑色がかって きれいには見えなかった。澄んではいなかった。