地獄編〜56  この男奇人・権威ある総合臨床医を創れ。(34)

心臓外科医・故・榊原仟教授のエッセイ。「・・・もし自分の妻が病気になったら 内科・外科・産婦人科に精通してる医者に診てもらいたい」。けだし至言である。これこそ人々が求める「臨床医たる者」の真の姿であり資格である。教授の専門は内科的心疾患ではない。数ある心臓病の中にあっても メスで治せるものに限られる。専門家の守備範囲がいかに狭いかよく判る。今や最低この三科に「心の病」を知らないと「病人を全人的に診る事」は不可能である。
それにもかかわらず 更にさらに「専門分化」しつつある現状は近い未来に とんでもない大きなツケが回ってくること間違いない。
 例えば今 診療所の標榜科目に「外科・内科・皮膚科」とあれば本当は外科。「婦人科・内科」とあれば元々は婦人科。いずれも「内科一般」を基礎から学んでる事は稀有で 高血圧・糖尿病・気管支喘息・肝炎・心筋梗塞なんてありふれた病気に関する基本的知識さえあやふやな医者が少なくない。だからしばしば町医者は藪医者だと頭から決めつけられてしまう。「一般内科」(総合診療・臨床科)の守備範囲は極端に広く 対して外科側は対象疾患が少ない。だから外科医あるいは婦人科医が開業に際して突如「内科」も診ようたってそんなに簡単な事ではない。内科医の訓練を受けたことが無いからである。精神科の内容変遷は激しく その守備範囲・奥行きの深さが 今の奇人には解らない。例えば「脅迫観念」と言う言葉ひとつを取り上げても その使い方が医師によって必ずしも一致していない。奇人には言葉を玩んでるが如くに感ずる時さえあり スッキリとは理解できない。
 1945年敗戦後 開業・臨床医は一般に実力不足だった事は否定出来ない。しかしそれなりに努力して その守備力を上げて来た。それによって「医師不足?」を表面上補ってきた。たとえ藪医者ばかりが増えて来たと非難されされようとも・・・。
 ところが今や 医師たちは「専門医へ逃げ込む」形で可能な限り患者を診たくない 面倒な訴訟問題を抱え込みたくない 責任逃れに徹する ひたすら自己防衛に走る。医師たちも「アノミーanomie」状態 つまり無規範・無連帯・バラバラ状態。自分勝手・自分さえ良ければ良い状態に追い詰められている。
 自分は痔が専門だ。目の前に胸が痛くて苦しむ患者。他に看護婦しかいない。どうする?医師免許証(全科)は持ってる。ここで「うっかり?好意的!に何か行動を起こした」結果「あのバカっ! 余計なことしやがって・・・だから死んじまった」なんて言われたら この「痔医者」は助からない。ボロクソにやられる。手を出さないに限る。君子危うきに近寄らずなのだ。逃げるが勝ちなのだ。
 換言すれば 榊原教授が希望した方向と真反対に医療界は動いている。訳の分らぬ専門医ばかりが跋扈し 優れた「総合診療・臨床医」は育たず むしろ軽視され駆逐されんばかりである。この傾向が大学病院で顕著なのは致命的とも言える。
 俊英こそが率先権威ある「総合臨床医」となり 専門医をその配下に置く。しかるべく医学教育法を創造する。急がば回れである。考え方を変えれば直ぐ出来る。