地獄編〜58  この男奇人覚醒成功・糖尿病昏睡。理不尽・無給医(35)

 医学部の「医局」は主任教授が変わると激変する。この医局とは何ぞや?一言でいえば「タコ部屋」。昔は教授が絶対権力を持っていた。今は知らない。法的根拠のない悪習・ヤクザ・マフィア的人間集団。有給者は教授・助教授・講師・助手。大学・診療科目によっても違うが十人前後まで・・・。他は全員タダ働き・無給。無給だから出鱈目・無責任てな訳にはいかぬ。エライ人達(先輩)に徹底的に扱き使われ 何だかんだと難題を突き付けられる。こんな不可思議な伝統?悪習があり 之に依存して「医人・医者」を養成。奇人も満十年間無給。その間何らかアルバイトで食いつないだ。芸者の置き屋より悪質な医局。只働きで一所懸命診てる医者に 病人が文句を言うなど言語道断。無給医の立場からは極めて当り前の論理。医者に非常識人が多くなった一因とも言える。
 医学教育・医師養成における底知れぬ大矛盾の数々。二階俊博議員いわく「医者は好きでなってるんだから・・・」「医者のモラル低下・・・」。嫉妬に狂った心貧しき愚者が ついつい本音を漏らした。無知蒙昧・下劣な政治家の本態。
 ベテラン医局員皆無。戦力最低。慌てた新任ヘッポコ内科教授「ダイガクに行って助教授を連れてきたい」。医学部長答えていわく「ここもダイガクだけど・・・」。「いえ 東大で・・・」。結果いわく「いざとなると東大も人材不足だった・・・」。依頼者本人に問題があり過ぎたのが実情。なんとか東大から一人 助教授として譲ってもらい 奇人は彼の下で糖尿病・専門家を目指す。特殊な感染症とは間接的な関係となった。当時病院には中央検査室がなく 正確な血糖測定は我々二人の研究室でしかできなかった(ハーゲドロン・イェンセン法。一検体測定に50分は要した)。少なくとも週に二回は研究室で動物実験 帰宅は夜10時半から11時ごろ。他は隔日に救急病院夜間宿直・月に二回は土曜・日曜の連続宿直・・・こんな日々がズーッと続いた。
 1964年その日助教授は親戚の結婚式でお休み。夕方四時過ぎ無知マヌケ教授が「糖尿病昏睡」患者入院応需。教授・医局員・奇人皆そんな患者診たことない。患者が来ても皆知らん顔。詳細は省略する。一時間ごと採血・血糖測定。合間をぬって尿糖測定。患者診察。三十分毎デキストロスティックスで血糖値簡易測定。正規・インスリン投与量を決める。ところがここで大問題が起こってることに奇人気付かなかった。一度に100単位の正規インスリンの処方。薬局の無知なベテランが 看護婦にこんな大量のインスリン使用は危険。治療に加担するなと密かに警告。奇人ただひとり治療にてんてこ舞い。走り回った。看護婦が手伝ってくれない。薬局にインスリンその他 取りには行ってくれた。
 約九時間後午前二時十分ごろ覚醒した。19歳男。肺炎で食欲ない飢餓脱水状態。「日頃糖尿病で食事制限中。食欲なくて丁度よし」これ患者の考え。これがアダとなった。
 この症例は この大学病院で糖尿病昏睡から無事帰還した第一例目。因みに1915年から1958年迄 日本国内の本症報告例数は計107例に過ぎなかった。
 僅かな検査数値と奇人の「勘」が治療の全てだった。「科学的」ではなかった!?・・・?。でも結果は良かった。